続『殴るオヤジの介護は大変です』

『殴るオヤジの介護は大変です』
2月19日の投稿の続きを書きます。
殴るオヤジさんは糖尿病も進み、視力が低下しました。
足取りもからむようにふらつきます。
職員は殴られながら見守りと動作介助をしていました。
その日、カッとなって怒鳴りながら早歩きになったとき、
オヤジさんは、転倒により意識を失いました。
医師判断と家族希望により救急搬送となり、
そのまま入院となりました。
病院から入院した翌日に退院要請の連絡が入りました。
病院からの申し送りは以下の内容でした。
入院して意識が戻ったのは良いのですが、
暴れて検査が出来ない。
家族からは精神薬の使用は頑なに拒まれて、
どんなに必要性を説明しても受け付けない。
本人も家族も早く施設に戻りたいと言っている。
病院でできることはないので施設で引き取って欲しい。
私たちは、今まで施設から入院された方の再入居を
断ったことは、ありません。
病院で、骨折してるかしてないか、
今の症状は治るか治らないか、
それをしっかり診断してもらいたい。
病院で治る病気なら治ることだけして、
治らない病気ならばこそ、直ぐに帰して欲しい。
これがいつもの職員の気持ちだから、
「退院だって」と相談員が言えば、
「ヤッター」とはしゃぐ職員達でした
しかし、今回はそうはいきませんでした。
介護主任が
「もう無理です、受け入れる資格が私にはありません。
みんなに頑張ろうと言い切れる根拠がありません。
自分の介護を続けていく自信がありません」
と言い出したからです。
介護主任の報告を受けた管理者は、
「それじゃあ、オヤジさんの再入居を断りますか?」
と問い返しました。介護主任は、黙ってしまいました。
介護主任が大切にしている介護は、
【関わった人は最期まで見届ける】
【お年寄りも職員も身体拘束しない】ということです。
その介護主任が今、ぐらついています。
リーダーの資格❓介護の根拠❓私の自信❓なんだそれ❓
「介護主任がハッキリしないなら、オヤジさんの再入居について職員の意見を直接聞く会議を開くしかありませんね」
先に奥さんの虐待に関する苦情もありましたので、
この会議には、静岡県指導課の担当者にも参加頂きました。
オヤジさんの退院前の会議が開催されました。
以下、職員の意見を書き出します。
暴力はイヤ❗️暴言はもっとイヤ❗️
ココ殴られた❗️こんなコト言われた❗️
あの人が戻ってくるならフロア変えて欲しい、
無理なら退職する。
医師に頼めば、おとなしくなる薬を出してくれるのに、
何故、処方してもらわないの。
今の精神科は昔と違うから、
本人家族職員が楽になる処方ができるハズ。
利用者本位というけど、職員のことも考えて欲しい、
もっと夜勤の苦労とか知って欲しい、
他のお年寄りからも苦情が出ているのを知ってますか、
ケガした職員・怖がる新人・辞めたい職員…
こんな状態では勤務表が組めない。
職員たちは、抱えていた思いをしぼるように発言しました。
管理者・介護主任・相談員・ケアマネ・静岡県指導課…
職員の苦しい心情を辛い表情で聞いていました。
まるで身体拘束廃止❗️の理念が職員を潰していくようです。
理念が職員を潰す。
けどさ、こんなに現場の私たちが言っても、
身体拘束禁止は、決まりだから、
どうせ変わんないんだよ。
と会議は、シラケはじめました。
「職員は自分の意見を言いましたよ。介護主任は、どうですか?」
「……私は、みんなに何も主任として言えません……」
「何故、ですか?」
「………私はオヤジさんが死ねばイイと思ったからです。
……そんな主任が介護で頑張ろうとか、もう言えない。
私には主任の資格は無い………」
介護主任は泣き崩れました。
ここからが、理念だけで介護していた介護主任の
      本当の介護が始まると思いました。
おそらく誰にも知られたくなかった介護主任の
心の真っ暗を彼女は言った。
介護の基本は【自分がされて嫌なことは人にはしない】です。
自分のない人に介護は無理です。
プロの介護は、
【一人で介護はできないということを知っている】です。
だから、プロの介護にはチーム・仲間が必要です。
仲間とは、
同じ目標達成の成果を喜ぶ人たちだけを指すのではありません。
誰にも知られたくない心の暗さを伝えてなお、
一緒に戸惑い分かち合える人です。
介護主任としての理念と介護観をしっかり持ってなお、
彼女は自分の言葉で、自分の心の暗い所を
みんなの前で言えました。
「オヤジさんが嫌だ❗️どうしてイイか、わからない。」
唐突ですが、植松某と介護主任は違うと思います。
植松某は言葉を交わせない知的障害のある人を
人間という言葉以外で呼んでいます。
だから、人間関係の規範を越えて発生する
介護ストレスは存在しないでしょう。
それでも彼は、人を殺しました。
介護主任の介護ストレスはオヤジさんが
(死んでしまえばいい)と思うほど、
高く大きく彼女に迫りました。
それはオヤジさんを気になって気になって仕方がない人間と
思っていたからです。
彼女は、オヤジさんを殺していません。
介護主任の言葉を聞いて、職員は驚きました。
どんな嫌なコトをされても言われても、和かに介護して、
一緒に頑張ろう❗️
って言っていた介護主任が、こんなこと言うなんて…。
シーン。
会議参加者の言葉が無くなりました。
会議は頓挫し、固まってしまいました。
このままでは、何も進みません。

とうとう管理者は、
「介護主任が死ねばイイなんて思っている施設で
介護なんて無理だね。
 この際、オヤジさんの再入居は、断りましょう!」
と言いました。
すると、職員たちはまた発言し始めました。
「今まで頑張ってきたのにここでオヤジが終わっちゃうってどうよ」
「いずれ病院は何とかして、オヤジを眠らせるよ。
 私たちは、そんなことしてこなかった。病院と私たちは違うから」
「ずっと続けてきた『利用を断らない』という私たちの介護が
 ここで途切れるのは、超カッコ悪りいし」
意地 見栄 体裁 をこだわって言い出した。
「主任がみっともない本音を言ったんだから、
 あなた達も、そろそろ本音を言いなさいよ。
 それとも、本当の気持ちなんてもう無くなったんだな」
今まで黙っていたおとなしい介護職が、
独り言みたいに、何か言い出した
「オヤジは嫌い。だけど、ここで断ったら…
主任の嫌な気持ちは、ここで、そのまま残る感じがする。
 主任の嫌な気持ちは、みんなも持ってる嫌な気持ちだ。
 オヤジを断って、暗い嫌な気持ちだけここに残るのも嫌だなあ」
だから、どうすんのよお…会議は続きました。
ちゃんと介護をしていれば、
この人さえいなければ、いなけりゃいいのに、死ねばいいのに、
という感情が湧いてくることがある。
この自分の嫌な感情を見て見ぬふりをして、
利用者だけを行動制限したり、追い出すように、
視野から外すことばかりを現場で繰り返していると、
お年寄りを大切にしたいという自分の介護が歪んでいく。
これを私たちは一人で気づくことができない。
介護主任が、みんなの本当の暗い気持ちを
引き出してくれました。
この暗い感情を互いに残して、
利用者を身体拘束するチームに
利用者を断るチームに、
私たちは、なりたくない。
私たちに『意志』はあるんだろうか。
独り言のような発言は、ここを問うていました。
そして、オヤジさんは施設に戻ってきました。
またまた長くなったので、ここらへんで閉じます。
オヤジさんが施設に戻って来てからの続きを
また、書きます。
私の尊敬する鳥海房枝さんは、身体拘束廃止とは、
「病院・施設の古い悪い体質を抜け出して、
 知った被りで不勉強の専門職の言い分を見抜いて、
 世間の流行り廃りに振り回されず、
 自分の責任で自分がすることが大切」と仰っていました。