殴るオヤジを 介護するのは 大変です。
殴るオヤジを 介護するのは 大変です。
いわゆる認知症で
分け隔てなく誰でも殴るオヤジの「暴力」は
受け容れられる。
知的障害か 精神障害か
はたまた…もともとの性格か
なんだか相手をみて 様子をみて「暴力」する人は
ホントに 嫌になる。
そのオヤジさんは、デイの利用から始まりました。
どこの事業所からも「暴力」を理由に断られて、
在宅ニ人暮らしの奥さんは困り果てていました。
『私たちが引き受けなくて どうする!』
そんな気概を持って 現場は 利用を受けました。
私たちの気概なんて消し飛ぶくらいの勢いで
デイでのオヤジさんは、横暴でした。
気の弱そうな職員を独占し 用事を言いつけ
子分のように使い回します。
おばあちゃんたちには大声で威嚇し、
おじいさんたちには手を上げます。
繰り返しのトラブルに 職員は謝り走り
利用者・家族からの苦情対応に 追われました。
挙げ句に、
「あの人がいるなら利用しません」
とデイの利用者が減る。
いよいよ奥さんから、ショート希望が出ました。
デイからの申し送りを受けていても
介護が追いつかない。
入浴介助でオケを投げ、
排泄介助で頭を押さえつけられ、
食事介助で吐きつける
夜間は大声 気に入らないと言っては 物を壊す。
新人は 「コワイ」といって泣き出す。
ベテランは 正面きってケンカするようになった。
管理者としてこの実態を報告すると、オヤジさんの妻は
「どうぞ!ケンカして!私はわかっているから大丈夫!」
と職員を励ましてくれた。
デイとショートの組み合わせで、5年の在宅生活を経て、
いよいよ奥さんから入居の希望が出る。
担当医や親族から精神科病院の入院を勧められた家族は、
「薬で落とされるのも鍵で閉じ込められるのも嫌なの」と
病院ではなく介護施設を選ぶ理由を切々と伝えてきた。
私たちはその気持ちに応えたいと思った。
オヤジさんにとっては、不本意な入居生活が始まった。
当然ですが、入居になっても「暴力」は変わらない。
職員を更に苦しめたのは「暴言」である。
「ブス・デブ」の外見や
「グズ・ヘタクソ」の仕事の未熟や
それは言って欲しくない!ということを畳み掛けてくる。
殴られて殴られて あげくに排泄失敗して
汚れた床を 殴られた痛みを堪えながら拭いている時に
バカにした言葉を吐かれると涙が出てくる。
入居されて3年の時が過ぎた。
オヤジさんは 足腰が少し弱ってきた。
「暴力」行為と 怒りの感情の高ぶりで
バランスが取れなくなり転倒するようになって来た。
危ない!と支える職員を殴るので、また、危ない。
特に着替えは大暴れで なかでも汚れた下着の交換は、
立位では二人がかりでも危なくなったので、
ベッドの上で 殴ろうとする手を
押さえながら行うようにした。
ある時、オヤジさんは奥さんに
「介護職のAからクビをしめられた」と話した。
「あなたたち虐待してるんでしょ。
特にAさん!あの人!酷いわね!」
と奥さんは、介護主任に訴えた。
「Aは職員のなかでもオヤジさんと一番心が通っていて、
苦手な職員と代わって介護したりしています。
ベッドの上で着替える時に
オヤジさんの手を押さえる職員の手を
クビをしめた!と言われてると思います」
「主人を認知症って言いたいんでしょ!
どうせ あなたたちは仲間をかばうんでしょ!」
名指しされたAは動けなくなってしまった。
誰より頑張っていたAが問い詰められている。
私たちの介護を理解し支えてくれていたはずの家族から
責められることに職員は混乱した。
疑われながら介護は、できない。
それからのAは、
ベッド上に横たわるオヤジさんの下着の更衣介助では、
殴るオヤジさんの手を押さえることが出来なくなり、
殴られるままに更衣介助を行う。
その後ろ姿はよろめき、ふらついていた。
傷つく職員 荒れていく職員 疲れ果てる職員
辞めたくなる職員
その職員たちに「もう一日もう一日 一緒に頑張ろう」と
懸命に支えてきた介護主任が
この「苦情」対応を検討する会議で発言した。
「あんな人 いなくなればいいのに」
そして泣き崩れた。
私は ここからが介護だと思う。
ああ!イライラする!でも何とかしなきゃ。
いつまで こんなことが続くの。
何のためにやっているのか 意味がわからない。
私ばかり なんでこんな目にあうの。
あの人さえ 居なければいいんだ。
居なくなれ、死んでしまえばイイんだ!
この私の心の中の「暴力」に気づいて、
言葉にして、この「暴力性」が自分だと自分が認める。
だけど断らない だけど落とさない だけど閉じ込めない
だけど叩かない 決して殺したりはしない
ここから私の介護を 考える。
長くなりました。
続きをまた、書きます。