にぎやか報告

にぎやかで、
ターミナルステージのおばあさんのケアが始まりました。
組織としては、理事長
法律としては、ケアマネ
職能としては、介護職 理学療法士
の立場を持つ阪井由佳子さんの
思い・方針は決まっている。
『おばあさんと、にぎやか:かっぱ庵との
今までの関わりを大切にして最期まで、
穏やかにおばあさんの負担を少なく見届けること』
当然である。わかりきっている。
もう何度も経験したにぎやかの看取りケアである。
私は、それを
言葉にして記録して会議で話し合い決議にして下さい。
とお願いした。
阪井由佳子さんには、
組織方針・ケアの法的根拠・専門職の責務を
示す責任がある。
「えー、それは苦手・面倒・嫌だなあ」
率直なご意見、ありがとうございます。
「言葉にしなきゃわからん人は、
 言葉にしてもわからんよ」
「職員は育てるモンじゃない。育つモンでしょ」
いかにも、わかったふうなご意見、
ありがとうございます。
「言葉にしたことがない。育てたこともない。
 それは、伝える介護がないからではない。
 伝えきれない・育てきれなかったのは私。
という現実がつきつけられるのが嫌だからです」
やってみなはれ、介護は面倒で手間がかかるんや。
おばあさんのいるかっぱ庵を預かる新しいリーダーが
いろんな人の意見を聞いて、わからなくなっています。
その新しいリーダーの為に、
阪井由佳子さんこそが、チームを集めて、
100万回分阪井さんは、わかっていても、
阪井由佳子さんが、
同じ時間に同じ場所で言葉にして下さい。
阪井由佳子さんは情報を集めました。
 主治医の指示
ラコール300ml水分300mlで様子を見る。
尿混濁他、問題等があれば水分を増やすなどの対策をとる。
おばあさんの長男さんの思い
1分1秒でも生きててほしい。
水分、栄養を急に減らすことは考えにくい。
今も乾いた咳をしているから水分を増やした方がよいのではないかと思う。
ベテラン看護師おしげさんの見解
まだ栄養、水分いれとるがけー、もう何もいれんでいいちゃ。
水分増やすちゃ点滴するようなもんだぜ。
そんなもんせんでいっちゃ。
ケアマネ阪井さんの考え
今のおばあさんの体に栄養や水分を入れることは
苦しみでしかないのでは?
人間も生物なら、枯れないと死ねない。
これまでおばあさんは、
20年間家族の生きててほしいに応えるように生きてきた。
もう十分でないか!
苦しまないで最期を迎えようと思うのなら、
苦しいのならなおの事、
水分・栄養を減らしていくようにしたい。
 新米看護師の意見
そりゃやっぱり家族の気持ちが一番なのでは?
 阪井由佳子がこれに応える。
おばあさんは十分家族の思いを受け止めて
これまで生きてきました。
もうこれ以上家族のためにがんばれとはいえません。 
私はおばあさんの立場と家族の立場の真ん中で
支援をしてきた上で
今はおばあさんの落としどころを決めてあげたい。
病院で死んでいく人は死ぬまで点滴をいれられて
体がむくんでパンパンになる。
でもこれまでにぎやか:かっぱ庵で死んだ人たちは
からっからで最期本当に穏やかに死んでいく。
それを見て、感じてきた上で、
私は、おばあさんの息子さんにちゃんと、
おばあさんが苦しまないように見送りたいと
説明を繰り返していこうと思っている。
 これを受けて新米看護師の発言
まー病院だと家族の意見が優先してずっと点滴とかいれちゃうよね。でもそうじゃないのがこのかっぱ庵だからね。
たしかに 今のおばあさんは心不全にもなってるし、
栄養や水分を入れればいれるほど苦しむ、
本当なら入れないのが一番いいけど、
家族のおもいには寄り添いたい。
阪井さんが、これに応える
当然、おばあさんの家族の気持ちも無下にはできないので、
点滴も徐々に減らしていきましょう。
その減らしかたは、おばあさんの顔をみて
「苦しそうなら減らす」
「落ちついているなら現状維持」と
とりあえずざっくりだけど、
これが、かっぱ庵としての方針として共有しよう。
かっぱ庵としては水分栄養を減らし楽にしてあげたい。
おしっこも出なくなっても仕方がない。
それが死ぬということ。
会議という、時間・空間を同じく持って、
同意・共感を互いに確認する。
このチームで一人の人を見届けることを
ベテラン・新人・日勤・夜勤・リーダー・一般職員、
そして、他職種と共に理解する。
かっぱ庵の方針が決まったからこそ、
ご家族への丁寧な説明ができる。
介護保険制度は、
自己選択・自己責任で成立する。
それは、自己決定を要求する。
この生活支援の場で、
「家族の気持ちを尊重する」という当然のことを
職員が繰り返し発言した時には、気をつけよう。
何も考えてない、受け売りの危険があるからです。
人は頭で考えて判断する。
人は心で思って決心する。
判断も決心も、一人ぼっちではできない。
私たちは、こう考えます。
私たちは、こう思います。
という、サービス提供者側の主体を手渡すことで、
本人・家族の主体が引き出される。
これを「共同決定」という
この共同決定が、事業所側の押し付け・威圧・誘導に
ならない為に、今までの関わりが問われて行く。
だから、
本人・家族のたった一回の生きて死んでいく判断・決心に、
共同決定者として職員が、
その立ち位置を認めてもらえることは、
職員の誇り・自信・プライド=専門性になって行く。
「そんな、わかりきったこと。
 そこまで、言わないかんがかね」
大切なことは、
言葉にした途端、違うものになった気がする。
私たちは、まだまだ、新しい人に伝えきれていない。
何度でも、繰り返して行きます。
阪井由佳子さんが、
丁寧に自分の気持ち・考えを言葉にした次の日から、
おばあさんの肩呼吸が、始まりました。
お年寄りは、すごいねえ。