虐待の温床を断つ❗️
虐待の温床を断つ❗️
鞆 隼人さんのセミナーレポートです。
自分の時間とお金を使って、仲間と研修に参加する。
そして、自身の学びを文章にする、人に伝える。
成長する介護職。すごいよね。
ひとりぼっちは怖くない
虐待の通報件数は年々増加傾向であるそうだ。元々氷山の一角だったものがあらわになってきたのかはわからない。兎にも角にも、この流れはどうにかして断ち切らなければならない。介護現場では喫緊の課題であることは間違いないのだ。
にもかかわらず、虐待や身体拘束の研修となると、些か参加者に陰りが見えるのは思い過ごしだろうか。介護が契約関係となってはや幾星霜。サービスを受けるもの、届けるものという対等の関係となってしまった今、介護する者はこれほど不当な扱いを受けている、利用者側からの暴力に耐え続けているのだ、という声をよく目にするようになった。
ここに虐待への関心のなさの根幹があるのかもしれない。虐待をしてしまう気持ちも分かると、未必の故意として感じている自分に、うしろめたさがあるのではないだろうか。
そんな現場に喝を入れるとしたら、これしかない、「くるんば」主催。やりたいケアを形にする。高口光子氏による講習だ。
現場にはストレスがある。それは世間が考えているだろうオムツ交換だとか、食事介助だとかの大変さからくるものではない。
お年寄りとの偶然の出会いから、日常業務を通じて人と人との関係性を育んでいく。あのおばあさんのトイレ、ご飯、お風呂を共に作っていく。その中である人間関係の規範に遭遇する。
人は思いどおりにはならないし、
思いどおりにはしてはいけない。
こんなにおばあさんを思っているのに!というあなたとわたしという関係性が生まれたからこそ生じるジレンマが、現場のストレスなのだ。
そしてこのストレスをもっとも生じさせてくれる、自分の矮小さ、ちっぽけさ、弱さを引き出してくれるのが認知症のお年寄りだ。
彼らはその行動によって僕らに語りかける。お前たちはまだわからんのかと。最初はプロらしく対応できていたが、やがてその行動は僕らのプロとしての矜恃など、いとも簡単に飛び越えてくれる。そこに生まれる嫌な感情。こいつが諸悪の根源なのだ。
この感情は誰だって生じるものだ。むしろ真剣にその人のことを思うからこそだ。何も思わない人、関係性がまだできてない人はこの感情は生じない。
そしてこの感情が表に出せないことが問題だ。やがてこの感情が溜め込まれた時、孤立した状況に置かれ、誰にも分かってもらえないという孤独が生まれた時、わからせてやる!わかりゃしない!と虐待が芽を出すのだ。
この悪性の感情を率直に語り合う人たちを「チーム」と呼ぶ。チームは感情を受け入れることにより共同主観、事実となり、改めてその言動にチームとして向き合うことができるようになる。
そしてこのチームを作っていくのが、リーダーなのだ。
チームにこの意識のあるリーダーがいなければ、やがて職員は孤独孤立化し、そのチームは虐待の流れを断ち切ることは出来ない。
リーダーはこのストレスの構造を把握し、スタッフをひとりぼっちにしないようにする。この体制作りが、諸悪の根源を断つ方法なのだ。
嫌な感情を語り合おう。人と人。どうしたって嫌になることはある、耐えきれない夜もある。
嫌だった。辛かった。その気持ちを支えあってこそのチームなのだ。
自己責任論が世を席巻して久しい。責任はお前だけにあると国民全員が合意形成してしまった。だからこそ、一人で抱え込むことになり、その結果孤独な人が増え、虐待も増えていっているのではないだろうか。
ひとりぼっちは怖くない。それはひとりぼっちは怖いものだと共感できる仲間がいるからだ。だからこそ、また明日もあの夜を乗り越えることができるのだ。