金沢セミナー : STOP 虐待 「介護殺人」

17年前の 石川のグループホームでの 虐待致死事件。
介護未経験の新人に、介護の急ぐやり方ばかりを教え、
その介護の意味を伝えることもしない・できない現場。
昼間の お年寄りを知ることもない 夜勤専任の勤務。
認知症と呼ばれるお年寄りに 、
人として関わるあり方さえ示されない。
そんな当時の状況で、追い込まれていく介護職。
決して許されることではないけれど、
一人で抱え込み、焦り喘ぎ、とうとう人を殺める。
あの事件報道を知って「あれは自分ではなかったか」と 、
同じく抱え込み、余裕を失っていた介護職たちは思った。
このままじゃダメだ!と思って、
現場は 新人教育 会議 面談 職員研修 業務改善を
真剣に時間をかけて 見直し 手作りしてきた。
そして今、世間が注目する最近までの介護現場の 虐待報道。
階段踊り場から3人突き落とす。
一度に19人刺し殺す。
腕2本折り、殴り、お湯をかける。
こんな事件報道を聞いて、
あの頃のように、その犯人は 私です。
と同じようには到底、思えない。
「追い込まれることはあっても、私は 殺しはしない。
あれは、虐待事件じゃない 殺人事件だ。
それも とても特殊な人たちが犯人なんだ。」
そうやって、現場は 整理しようとしている。
ところが、世間は そうはいかない様子だ。
どうも 、介護現場には 、
人を殺さなければならないほどのストレスや、
人を 殺すような人が 紛れているらしい。
世間の こんな視線に晒されると
監視しなければならないという気分が強くなる。
誰を誰が 監視するのか。
家族が訴訟したり ビデオ撮ったりしないか監視する
職員が とんでもないことしないか 監視する
誰かが 内部告発しないか監視する
お年寄りが 職員を疑う
家族が 職員を疑う
経営者が 職員を疑う
職員が お年寄りを 家族を 経営者を 疑う
疑いながら 介護は できない。
疑いを受けながら 介護は やりきれない。
介護を必要とする人は、どんどん増えているというのに、
介護に必要なのは、見張りではなく、見守りです。
監視の視線が蔓延るところに介護は無い。
その監視でさえ、人ではなく、カメラにさせるという。
誰が お年寄りを 家族を 経営者を そして、職員を
見守ってくれるのだろう。
この『見守り・声かけ』を仕組みに持たない介護事業所は、
崩壊する。
介護が一方的管理と一方的監視に落ちぶれた時、
それが最も深く・重たい日常的な虐待になる。
このことをテーマに考えた研修でした。
参加された方、覚えていらっしゃいますか?
懐かしい写真に、一言加えています。
どうぞ、ご覧下さい。