第76回 国立病院総合医学会 看護教育講演

  ケアの現場における身体拘束0にむけた取り組み
【看護教育講演】
身体拘束は廃止できます
~私たちは縛りたくない~
   《身体拘束廃止前に理解しておくこと。》
01事故とはなにか→
歩けば転ぶ・食べればつまる・外に出れば交通事故に遭う、
それが危ないからと、全てを禁止したら、
人間らしい生活は無くなる。
人間らしい生活を潰して人ひとり寝たきりに追い込む、
この責任もまた事故として同じく問われなければならない。
02事故報告の意味→
管理責任者が責任を取るために事故報告はある。
現場には責任を取らせないし、現場は事故責任は取れない。
また、事故を起こした時、利用者に危害を加えたこと、
自分が辛い思いをしていること。
これを利用者にはもちろん、
一緒に働く仲間にさせたくないから事故報告をする。
03事故原因をとは何か→
事故の原因が、利用者の認知症・脳卒中・身体不自由など、
症状・病気・障害などとしてしまうと、
あるがままのその人を否定することになる。
そうすると、この人がいることが事故原因となり、
この人の活動がなければ事故が無くなる。
というのが、対策になってしまう。
以上を先ず、職場で整理して欲しい。
そして、
対人援助において、身体拘束は人の生きる力を削ぐ『悪い』ことなのに「現場で何故やるのか」を問う。
「職員数が少なく、業務量も多く、見守りできないから」
それでは、
「何故、あなたは身体拘束をするのですか」と問う。
「先輩がそうしていたから」
「一職員である自分にはそうするしかなかった」
「職場のみんなが変わらないから」
つまり、みんながしていたから、していたということ。
それでは、伺います。
みんなが身体拘束しているこの職場にいる「私」は、
そうした「みんな」の一員にならないこともできたのでは、
ないでしょうか。
何故なら、私は勉強しているから、資格があるから、
志があるからです。
勉強・資格・志は、ここ(例えば病棟)では何の役にも、
たたないのでしょうか。
先ずは「私」は身体拘束に加担したことを
自分がしたことだとしっかり自覚できますか。
そうすると、不安になります。
みんながしていたからした。
ということなら、考えなくて良いからです。
自分が悪いケアをしたと自己覚知すると、
自分はどういうケアがしたいのかを
自分で考えなければならないからです。
自分がやりたいと思い・考えるケアは、
自分自身の意志としてそのケアを持つことができます。
その意志として持つケアを患者・利用者・地域住民に
手渡そうとする時、知識・技術・学習・資格・志が、
大切なものとなります。
あなたは、これら全てを持っています。
私は、病院の看護師に意志を持って働いて欲しい。
そうすれば、
悪いケア=身体拘束は無くなると信じています。
以上、フロアほぼ全員、国立病院の看護師。
少し医師がいたかな?の会場で、
話してきました。
写真でボヤけているのは看護学生さんたちです。
実習先の病院で身体拘束されている患者さんに、
私はどうしたら良いのでしょう。
という質問を泣きながら頂きました。
私なりに一生懸命、応えてみました。
ありがとうございました😊