にぎやか嫌々報告②

先日、にぎやかサミットをYoutubeで拝聴した。
NPO法人にぎやかの
2021 年度事業報告・決算報告
2022年度事業計画・予算計画
を理事長(阪井由佳子さん)が司会進行をとって、
参加する総会のような感じである。
受信状況が不安定で音声も途切れて、
画面も最後は見えなくなってしまった。
それでも、様々な事業に取り組んでいること。
収支の安定した健全経営であること。などは、
画面と音声がズレていてもすぐわかるくらい明確である。
その事業展開を説明する時に、理事長(阪井さん)が、
「にぎやかは、営業をしなくても、利用稼働は安定している」
と報告して更に、
「にぎやかは過去一度も営業したことありません」
と発言すると、「それは嘘です」と続けた。
(ウソなんかい)
「にぎやかから、かっぱ庵を新規開設した時、にぎやかから利用者さんが一気にかっぱ庵へ利用が変更されて、すごい利用が減った時、営業しました」
(そりゃあそうだね)
「だけど、営業して紹介してもらった利用者さんは、
ケアマネのお仕着せ、他事業所の下請けみたいで
全然上手くいきませんでした」
(あたり前じゃ、それが仕事だ)
「だからもう、営業はしないと決めました。
 今、困っている人、出会うべくして出会った人に
 にぎやか・かっぱ庵は、利用して頂きます」
(言い切りましたな)
これが、にぎやかのリスクマネジメントの核である。
利用者も職員も愛称で呼び合い本名がわからない。
職員の思いはあっても時系列の記録がない。
インシデント・アクシデントの分類も分析もない。
報告・連絡・相談をマニュアル化していない。
私からすれば恐い現場である。
何が恐ろしいって事故などがあっても、
社会的問い合わせがあっても、
記録を根拠にした説明ができないからである。
いわゆる裁判などになったら「負ける」
それでも、社会的に大きく「責任」を問われることなく、
にぎやかが25年間継続運営できたのは偶然ではない。
にぎやかの利用者・ご家族は、
転んでも転ばせてしまった職員を気遣う。
誰かがが窒息してもビックリしたねといって笑い合う。
たぶん、このにぎやかでは、
仮に誰も死ぬと思ってない状況で、
いわゆる不測の事態(転倒・転落・窒息・誤薬など)で、
利用者さんが亡くなっても、みんなでごめんね・ごめんねと、
利用者さんもご家族も職員も互いに声をかけ合い、
驚きと悲しみの中に身を寄せ合うのだろう。
つまり、事故が事故にならないのだ。
これが、にぎやかのリスクマネジメントである。
お年寄りと職員は、偶然のめぐりあわせで、
最初は記号のような存在である。
まだ、人としての関係は無い。
そして、お年寄りと職員は、
日常(食事・排泄・入浴)を繰り返して人間関係を育む。
私とあなたという固有名詞を持った人間関係を作るために、
日常業務がある。
その日常業務を集団処遇にしてしまうと、
人間関係ができないばかりか、
お年寄りは数や量となり、些細なことで不満が不信に変わり、
互いの過剰反応としての訴訟とか、さもしい権利主張が始まる。
そしてこの信頼関係が無いと、
何もしないで人が死ぬのを見届けるというターミナルケアには、とてもじゃないが行き着かない。
このお年寄りと職員の充実した人間関係ができるまでに、
「介護の質」「法律」「職員の責任」
この3つを守る為に私たちは、記録を書く・入力する。
これが、
大規模施設の関係作りでありリスクマネジメントである。
にぎやかには「阪井由佳子」という固有名詞を持った人物と、
利用者・家族とで、人生を背景にした物語を
利用開始前に受け容れ・語られる。
冷たい地域・野蛮な病院・無頓着な施設などは、
物語での重要な役割を持つ。
職員は今までの過ぎた物語より、
勢いと偶然の出会いからの「今日」の毎日に集中する。
これが、最期まで展開する。
そして、ここで出会い、ここで過ごした日々は、
かけがえのないものとなり、この大切な場を
よもや社会的糾弾などで失いたくないと思う。
だから、関わるみんなで守る。
利用者・家族・ボランティアには、
親子・兄弟・親戚など 親族のつながりも多い。
このような状況で職員は、より良い介護にのみ集中して、
仕事ができるということになる。
これが小規模管理責任者の目標でもある。
大規模施設からすれば、
夢のような介護状況ではあるが、
人と人との目に見えない信頼を礎にした仕組みの中で、
社会的活動をしているのに、
あの人に助けられたと盲目的な従属が先行すると、
暗闇の洗脳集団になる可能性が小規模事業所にはある。
それを知っているので過剰と思われるほど、
にぎやかは内部状況を公開して行く。
利用者と耕し育てるはずの信頼関係を
管理責任者が先に持っているので、
それを介護の伸びやかさに職員ができなければ、
職員の怠慢・自惚れ・いつまでも成長しないなどの
状況に陥りやすくなる。
長く勤務しているわりには、幼い考え方の職員が増える。
自分は正しいこれしかないと思い込んでいるので、
最悪の場合、虐待が常態化する。
不適切ケアが目の前にあっても、
言わなくても伝わっていると思わせてしまうほどの
空間の狭さなので、
あえて繰り返し言葉にする必要を感じなくなってしまう。
報告・連絡・相談が薄くなるので、一度ズレた職員は、
なかなか正しい位置に戻って来れない。
ズレた職員が「誰かに言いたい」という気持ちが強くなり、
言い掛かりのような内部告発しか方法がなくなる。
これが荒廃した小規模事業所の状態である。
1000回問題なくここまで来たとして、
1 001回目のことは、誰もわからない。
この起こってもいない事実を共有して
正しい緊張感を持ち続けるマネジメントのあり方を
管理者個人の気分変動の感情ではなく、
落ち着いてわかりやすく表現できるトップは、
なかなか居ない。
阪井由佳子さんは、ここに気づいたのだと思う。
「管理者である自分が一番のリスクだ」と。
今、阪井由佳子がいなくなったら、
どうなるんだ。
この一番のリスクを組織の力に変えていく。
その為には、何が必要か、考えていきます。