私は、何故、介護保険制度を批判しないのか

『私は、何故、介護保険制度を批判しないのか』
先のセミナーに参加させて頂き、
改めて振り返ってみました。
私の始まりは、
老人医療費無料化前の「老人病院」からです。
「死ぬるに死ねない老人」を大量に毎日見続けました。
「在宅」には疲れ果てた家族と、
畳まで腐った寝たきり老人が、
「病院に入院できる人は良いね」と笑っていました。
これが人生で初めて見た「悲惨」です。
制度改正で「特例許可老人病院」が出来て、
制度改定で「老人医療費無料化」が始まり、
「社会的入院」「寝たきり老人ゼロ作戦」
「岡光次官逮捕」「おたかさんで山が動く」
そして、少しずれて、
「介護保険創設」
私はその法律の文言として示された
「本人家族の意向に沿ってサービス(ケア)提供する」
これが、純粋に凄い!と思いました。
当時の私は
「医師の処方箋」「看護婦(当時)の指示」に、
どうにもならない!と自分の無力と敗北感を持って、
病院を辞めた頃だったからです。
目が上を向いて、口が半分開いていて、
手足が曲がりくねったその老人を
「大切にしたくても
大切にできなくなってしまった」
この家族の気持ちに応えることが、
私はその老人の意向そのものだと思いました。
「家では大切にできない、だけど病院は嫌だな」
これが、
私たち介護と出会ったからこそ引き出された
いうに言えなかった「本人家族の意向」だと
自負しました。
大切な人(老人)を大切にできないことで家族は苦しむ。
自分のことで家族が苦しんでいる。
この事実がまた、その老人を苦しめる。
ここに、私たちの仕事がある。
ここに人は、公金を支払う。
「私は親を捨てたのでは無い。
親の為にこの介護を選んだんだ」
と互いが自分自身を認めることができる介護。
そこに価値があり、お金が支払える介護を
仕事として続けて行こう!
と思ってやって来た。
だから、どんな不備があっても、
介護保険の批判はしてこなかった。
介護保険があるから、できる仕事だと思っているから。
当時私は、どんなに心を込めて話し合って、
決まったことでも、医師の処方箋で、
ひっくり返る現実が嫌で、
介護に逃げた、介護保険を使った。
そして今は、
介護を軽んじる国の方針
安直に追随せざるを得ない経営
そんな現実に追われて、
今度は、何処に行こうとしているのか。
考えてみます。