高口光子の罪

上野千鶴子さんは、介護保険制度を説明したあと、
高口光子をコテンパンに批判しました。
「高口光子の罪」というのは、こんな感じ.
時代において、介護保険が必要であったのは、事実.
この保険制度が無ければ、
介護離職、介護虐待、介護殺人‥など、
「身内だけで抱え込む介護」「医療のみに任せる老い」
から引き起こされる「介護問題」が、
現在よりも もっと深刻な状態になっていた事は、
容易に想像することができる.
そして、
「走りながら、考える」と標語された通り介護保険は、
「やってみなけりゃわからない」状態でスタートした.
この未曾有の高齢化を前に
日本の財政 =医療保険の安定の為に、
誕生した介護保険.
不備を承知で始まった介護保険です.
だからこそ、
戦略(制度)・戦術(運用)の欠陥を 戦闘(現場実践)から
発言しなければならない.
それなのに、あなた(高口光子)達は、
あり合わせの乏しい材料⇒⇒⇒それは、
経営能力を持っていない経営者
見直されない組織体制
少ない人数
低い賃金
限られた情報
で、業務改善を現場で繰り返し、
なんと、「良い介護」を実践してしまう.
これを ブリコラージュという.
あり合わせの材料で、なんとかしてしまう手仕事.
時に、この手仕事は、人に感動を与え 希望を持たせる.
高口光子の謎は、
こんなに不備な介護保険に何故、本気で怒らないのか?
制度なんてあてにしていないなどと言うけど、
制度は変わる、誰かが変えている.
だから、現場からの社会的発言がない限り、結局、
現場に沿った制度改正は あり得ない.
何故、現場から、発言しないのか?
それが、謎.
そして、
高口光子の罪は、
あなたが「良い介護」の実践を言えば言うほど、
「今の介護保険で、ここまで できるんだ!」
という既成事実を作ることになる.
できるところ=良い事業所・良い施設があるということは、
できないところ=悪い事業所・悪い施設があることになる.
ということは、
悪いのは、戦略(制度)戦術(運用)ではなく、
その事業所・施設の問題だと 問題が矮小化されて行く.
現場実践を頑張る者たちは、その素晴らしさを持ってなお、
「私ができるのに、何であなた達できないの?」という
威圧性を持ち合わせる.
それが、現場からの伸びやかな発言を 押さえ込んでしまう.
その自覚が、高口光子には 無いのか⁉️
そして、高口光子の施設ケアというのは、
結局のところ、施設に身内を入れた家族の「後ろめたさ」を
解放 または、軽くするものだよね.
そこに、本当に利用者ニーズというのは、あるのかな.
あなたにとって、利用者というのは、
お金を支払って 介護を購買する「家族」じゃないの?
利用者=本人の意向は、そこにあるのか⁉️
と、詰め寄ってくる.
大義の無い戦略のもと、
脆弱枯渇の戦術だけで、
良い介護を戦闘する。
それが、高口光子だと言い切られました。
何か、言い返さなきゃ!
でも、言葉が追いつかない。
トボトボと家に帰ると、
コロナばかりだったテレビが、
外国の戦争ばかりを映していました。
その戦争の深きを私は知りません。
画面には、大国といわれる国の兵士が、
写っていました。
何の為の闘いかもわからず、
想定以上の日数が掛かると言われるなか、
自分の攻撃が何に繋がるのかも知らず、
ただ目の前の戦闘に明け暮れる兵士。
悲しくは無いのですが、
なんだか泣けてきました。